
「ネロと旅人」スピンオフ短編

「潮風の瞳」
港の喧騒がかすかに届く職人街の外れに、人形工房がある。
小さいながら、ドミノ王国でも名のある工房のひとつだ。
若き職人カリアは作業台の前に座っていた。
手にした人形はすでに完成に近い。
衣も、輪郭も、指先の角度も申し分ない。
……だが、瞳だけが決まらない。
瞳が入らない限り、人形は“物”のままだ。
幾種類もの候補となる石や硝子を手にしながら、カリアは息を吐いた。
「……これも、違う」
口に出すと、工房が少し広くなる。
窯の火は弱い。焦りは胸を締め、納期は容赦なく近づく。
王城からの依頼――王女のための人形。名誉は重く、間に合わなければ工房の傷になる。
その日、ひとつの小包が届いた。冒険者ギルドからだという。
カリアは封を切る手を止めた。
そういえば昨晩、親方が「いいモノが手に入った」と言っていたのを思い出す。
悩み続けるカリアにどうかと言ってくれたものだ。
そっと開けると、中身は水晶めいた羽根だった。
淡い青とも紫ともつかぬ光を含み、触れるとひやりと冷たい。
しかし胸の奥が、わずかに温む。
思い出せぬのに懐かしい、という感触は、時々ほんとうにある。
カリアは、じっと羽根を見つめた。
その夜、工房にはひとり。
羽根は丁寧に砕かれ、溶け、硝子が光を抱いていく。
吹き竿を回す手は震えていたが、迷いはなかった。
窓が風に鳴り、遠くで鐘がひとつ鳴る。
カリアはその音に気付くことなく、額に汗をにじませた。
夜は更け、港は静かに眠り、波音だけが低く続いた。
―――やがて、硝子の奥に小さな光が定まった。
“生まれた”というより、“戻った”に近い。
人形は、大きな瞳でただこちらを見つめていた。
淡い青とも紫ともつかぬ光を帯びて―――。
カリアはそこでようやく息をついた。
翌朝、王城へ向かう石階段は少しきつく、そしてカリアの胸の内はまだ微かに波立っていた。
人形は侍女の手を経て、王女の膝へ渡された。
柔らかな日差しの中、優雅な仕草で王女はその瞳を覗き込む。
「……わたくし、この子とどこかで会ったことがある気がいたします。待っていてくれたのね」
王女の声は小さく、それでもよく届いた。
カリアの胸の奥で、固かったものがほどけていく。褒め言葉ではない。説明でもない。
ただ、胸の奥が温かった。
城門を出ると、高くなった光が石畳を照らし、店の窓硝子に反射してきらりと瞬いた。
あの瞳はもうカリアの手を離れたのに、視界の隅でまだ揺れている気がした。
「僕は、次もあの瞳を作れるだろうか……」
その問いに答えはない。
だが、カリアの表情は、潮風に吹かれて柔らかかった。